トフワボフ
創世記1章2節の<トフ&ボフ>について考察を進めるにあたり、<ボフ>というヘブル語が旧約聖書中3か所にしか出てこない特異性が指摘されている。
残り2か所を見ていこう。
>主はその上に茫漠の測り縄を張り、空虚の重りを下げる。(イザヤ34:11)
ここでは<トフ>、<ボフ>と分かれて使用されているが、同一聖句中であることから、創世記1章2節との関連を読み取って良いと思う。
ところで、イザヤ34章は
「主の復讐の日」
の様子を預言しているがそれは
未だ起こっていない。
>天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる。(イザヤ34:4)
>天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。(黙示録6:14)
主の<復讐>によっで徹底的に破壊された地
には立ち入り禁止の警戒線ならぬ
<トフ>と書かれた縄が張られ、張力維持用の重りには<ボフ>と書かれ
天地創造前の様子を彷彿させた
のではないだろうか。
>私が地を見ると、見よ、茫漠として何もなく、天を見ると、その光はなかった。(エレミヤ4:23)
主がエレミヤに見せた地の光景は<トフ&ボフ>、創世記1章2節と同じ語がつかわれている。
しかしその直後に
>私が見ると、見よ、豊かな地は荒野となり、町々は主の前で、その燃える怒りによって、打ち壊されていた。(26)
と書いている。
再創造論者は、この箇所をもって、
神がバビロンを用いてユダの地を破壊するのと同じことが
創世記1章1節と2節の間に行われた
と主張しているらしい。
ユダの地の破壊の様子についての主の解説はこうである。
>「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼしつくはしない。このため地は喪に服し、上の天は暗くなる。」(27,28)
エレミヤが23節で見た光景を主は28節で解説している。
<トフ&ボフ>は「地が喪に服した」様子ということだ。
啓示の漸進原理
とは、
先に出た語の意味は時代が下るほど明確化していく
というものだが、<トフ&ボフ>はそれにはあたらない。
イザヤに啓示された「主の復讐の日」はヨハネにも啓示されたが、
新約聖書の最後になってもその様子は明確になったとはいえない。
ただ、徹底的に破壊しつくされたのであろうとの想像ができるだけである。
それに比べれば、エレミヤに啓示されたバビロンによるユダの地の破壊は<荒野>と化すという、スケールダウンともいえるものであった。
このスケールダウンしたものを<トフ&ボフ>の実態と捉えるよりは、ユダの地の破壊と重ねて、<上の天は暗くなる>という別の時のことも啓示され、その時の「地が喪に服した」様子を<トフ&ボフ>と表現したと解釈したい。
つまり、
終わりの日に起こる破壊の凄まじさを
あたかもまだ何もなかったころとイメージさせるために
創世記1章2節が引き合いに出されているということ。
再創造論者は、創世記1章1節と2節の間には、書かれていない大天使の堕落と神のさばきという出来事があったのだと主張し、
その主張に合うように創世記1章2節を読み替えている。
しかしそれは聖書の読み方として行間の読み込み過ぎなのではないだろうか。